古書店遊戯

 こんにちは、イトーです。

 空いた棚を補充するために本を抱えて古書店のフロアをうろついていると、よくお客様からお声をかけられます。図書券は使えますか、トイレは貸してもらえますか、セールの予定はありますか、などなど。
 中には「『ぼんやりとした不安』を理由に自殺した作家さんって、誰でしたっけ? その人の本が欲しいんですけど」などとお尋ねになるお客様もいらっしゃいます。そこまでディティールが分かっていて、どうして作家名が思い出せないのか不思議に思った覚えがあります。
 幸いにして我が古書店では、本棚は書店経営学に基づき効率的に管理されているため、お客様がお探しの作家を探すことはさほど困難ではありません。作家名順にソートされた棚を追っていけば良いだけの話です。
 ただ、いつもお客様は作家名や作品名を正確に覚えていらっしゃるとは限りません。

 並木の紅葉は落ち始め、本格的に寒気が厳しくなってきた時節のことでした。
 私はお客様よりお売り頂いた本についた、どこぞの新古書店のものと思しき値段ラベルを剥がしているところでした。専用のシール剥がし溶液をラベルの上に一滴垂らし、爪でこそげとるだけの簡単なお仕事です。この際、ラベルに液が浸透するのをしっかり待つのがポイントです。待ち時間を使って本の研磨などの別作業を進められればなお良いでしょう。
 何冊目になるか分からないラベルと格闘していると、不意に「イトーさんイトーさん」という声をかけられました。
 買い取り用カウンターに寄りかかるようにしていたのはヤマシタ書店員でした。十七という年齢は、我が古書店スタッフの中では最年少だったと思います。大きな瞳や犬の尾を連想させるポニーテールも相まって、人懐こい小動物を思い起こさせる女の子です。
 彼女は大きな瞳を広げて、カウンターの上に身を乗り出します。

「質問なんですけど、『ハカイ』って誰の作品ですか? 太宰治ですか? 何か暗そうだし」

 島崎藤村です。全然違います。印象だけでものを語らないように。
 というかこの子、恐らく題を『破壊』と間違えています。正確には『破戒』です。被差別部落民である主人公が戒めを破った悲愴な決意を、どの口が暗いと抜かすか。ええっ。
 という義憤が私の笑顔の裏で荒れ狂っていることも知らず、ヤマシタ書店員はポニーテールの先をいじりながら「ありがとうございます、じゃ、お客さんのとこに戻りますねー」とその場を去りました。

 今回に限らず、ヤマシタ書店員はこういったお客様の質問をたびたび私や他の書店員に回すことがありました。
 例えばこの間の休憩時間中、「黒糖をくれってお客さんがいたんで『うちにそんな甘いものはないんですよー』って言ったら怒って帰っちゃったんですよ。おかしな人もいますよね。あっはっは!」と笑いながら話を振られたことがありました。正直あまり突っ込みたくないのですが、恐らくそのお客様は『ジャン・コクトー』をお探しだったのでしょう。
 もちろん、彼女は決して横着ぶりな子ではありません。……多少効率を求めすぎて手間を惜しむような側面はありますが、勤務態度はそれなりに真面目です。
 であるにも関わらず、何故そんな悲喜劇が起こるのか。原因は明らかです。
 ――彼女の文学に関する基本知識が、圧倒的に不足しているためです。
 しかしこればっかりは一朝一夕でどうにかなるものではありません。
 さてはて一体どうしたものか……。沈思黙考しながら歩いていたせいで、危うくスタッフルームから出てきた店長と正面衝突するところでした。

「も、申し訳ありません、店長。少し考え事をしていたもので……」
「いや、大丈夫だよ。じゃあスタッフルームの鍵は君に渡しておくから」

 相変わらず心の広いお方です。店長が笑うとただでさえ若々しい顔が高校生くらいに見えました。ちなみに実年齢は私よりずっと上のはずです。
 鍵を拝受する際に、ふと店長のエプロンのポケットから何か見慣れないものがはみ出していることに気が付きました。これは、CDロムでしょうか?

「これかい。気になるかい」

 私が興味を示すと、店長は珍しく弾むような声でCDロムの入ったケースを差し出しました。プレス盤ではなく、CD―Rに焼いただけのものでした。盤面にはサインペンで『文学RPG(α試験版)』と書かれています。

「イトー書店員、君も古書店連盟がつい最近提唱した問題は知っているだろう」
「電子メディアによる文学乖離論、ですね。世の中に様々なサービスが増えたために、読書に時間を費やす人は段々減っているという」
「その対策として古書店連盟が開発したのがこれなのさ。電子メディア、その中でもとりわけ取っ付きやすいと思われるゲームの形で、文学に興味を持ってもらおうという試みだよ」

 私は心の中で腿を叩きました。なるほど、つまりこれは一種のエデュテインメントです。文学と聞くと思わず身構えてしまう人々に、ひとまず別の形で遊んでもらうことで自然と文学に意識を向かわせるつもりなのでしょう。

「これの開発には資料提供やアドバイザーとして僕も関わっているんだ。つい先日試験版が完成して、送られてきたところなんだよ。でも僕はゲームをしないから、ちゃんとした助言ができるか不安でね。『遊んでいるうちに勝手に文学に詳しくなる』というコンセプトで、興味深くはあるんだけど……どうかしたかい?」

 私の顔を見た店長のお言葉が途絶えました。
 私はぼうっと棒立ちになっていました。ある電撃的な思いつきが、頭の中を占めたためです。
 姿勢を正し、背筋を伸ばします。受け取ったCD―Rを胸に抱き、頭をそっと垂れました。

「店長。もしよろしければ、このサンプル盤のテストプレイをお任せ頂けませんか」



 賢明なる読者諸兄は私の意図に当然お気づきかと思います。
 後日、私はスタッフルームにヤマシタ書店員を呼びました。学校から直行してきたのか今日の彼女は青と白を基調としたセーラー服の姿です。いつものように狭い更衣室に入ろうとした彼女を呼び止めました。

「いえヤマシタさん、今日はエプロンに着がえなくても良いです」
「え、何でですか? セーラー服好きなんですか?」

 短いスカートの裾をドレスでするように摘まんで、悪戯っぽく八重歯を覗かせます。
 無視して「今日の業務はスタッフルーム内で行なってもらうのです」と答えると、彼女は不服そうに笑顔を引っ込めました。彼女には申し訳ないことですが、私はできる限り嘘を吐かないようにしているのです。私はブレザーの方が好きなのです。
 取り出したるは店長から賜りしCD―R。それをいつもは消耗品の発注などの業務に使うデスクトップパソコン(OSは98です)に挿入します。自動的にCDの中身が読み込まれ、画面中央に新たなウィンドウが生まれました。
『全日本古書店連盟』という明朝体のロゴが映された後、タイトル画面が表示されました。題は『文学RPG(仮)』。ドットで日本家屋を表現した背景は九○年代前半のゲーム画面を想起させます。

「おおぅ! これ、ゲームなんですかっ? 今、古書店連盟とか書いてありましたよね」

 私を押し退け、端正な顔が勢いよく画面に近づきました。新しい玩具を与えられた犬猫のように爛々とした光を大きな瞳に湛えています。
 私がゲーム概要を説明する前に、彼女はデスクチェアーに腰を落としてマウスを操作し始めました。なおも私がコピー紙に印刷された説明書を読み上げようとすると、

「大丈夫ですって、ゲームっていうのはやってるうちにルールも分かってくるもんなんですよ」

 仕方なく私も円卓からパイプ椅子を持ってきて、彼女と肩を並べて座ります。セーラー服に包まれた肩は私よりも随分低いところにありました。
 ヤマシタ書店員の横からブラウン管を覗き込むと、ドット絵で表現された二頭身の人間が横一列に並んでいるのが見えました。どうやら最初に主人公を選択できる形式のようです。私は昔あったゲームを思い出してぽつりと、

「ライブアライブみたいですね」
「何ですか、それ? サガフロっぽいなあとは思いましたけど」

 ……ジェネレーションギャップを感じます。
 彼女が選択したキャラクターは羽織を纏った初老の男性でした。
『TEAM KOSYOTEN』というクレジットが画面中央に浮かび上がり、オープニングが流れます。
 竹やぶの向こうから子猫が現れ、立派な日本家屋の縁側に上がろうとするところから話は始まりました。
 ふらふらとした頼りない歩みで、一マスずつ猫は前に進みます。しかし画面端から現れた女性(と思しきドットキャラ)は猫を見つけるや否や、猫を縁側の外へと放り投げてしまいました。めげない猫と下女の間で同じことが何度か繰り返された後、『騒々しいな』とぶつぶつ言いながら表に男性が出てきます。ヤマシタ書店員が選択したあの主人公でした。
 女性がいきさつを説明すると彼はしばらく黙ってから、こう言いました。

『そんなら 内へ置いてやれ』



「おお、漱石!」

 身を乗り出す私に驚いて、ヤマシタ書店員の矮躯が大きくのけぞりました。

「ソーセキって……夏目漱石ですか?」

 さすがに彼女でも知っているようです。そう、鴎外と並び日本が誇るべき文豪、それが夏目漱石です。この冒頭は彼の代表作『吾輩は猫である』の冒頭にちなんだものでしょう。実際に漱石が飼っていたという三匹の猫のうち、最初の一匹はこの通りの出会い方だったそうです。

「お、何か操作できるようになったみたいですね。コマンドは……『執筆』『休憩』『うろつく』『ステータス』?」

 RPGというよりシミュレーションに近いんでしょうか。しかしステータス画面には「体力」「精神力」「ちから」「すばやさ」などRPG然としたものが並んでいます。一体どういうシステムなのだろうか、と首を捻ったところで電話機から呼び出し音。内線通話です。受話器を取ると、

『もしもし、イトー書店員かい。悪いけどちょっとフロアに回ってくれないかな。買い取りが混んできてね、イデくんだけじゃカウンターが回りそうにないんだ』
「もちろん喜んで。……しかし、ガトー書店員は? 今日は彼の常勤シフト日だったはずでは」
『彼は今エデュテインメントゲームの開発チームに回されているんだよ』
「それは凄い、そういえば最近見ませんでしたね。彼は何の担当を?」
『デバッグ』
「ああ」

 何となく納得してしまいました。了解の返事、そしてホールド。
 ヤマシタ書店員にしばらく外す旨を告げると、返ってきたのは気の抜けた生返事。
 部屋を出る前に振り返ると、画面に視線を縫いつけられ、一心不乱にマウスを操作するヤマシタ書店員が見えました。



「イトーさん、このゲームおかしいですよ! 理不尽ですよ! これ作った人、絶対頭が変ですよ!」

 数件の買い取りを終え、スタッフルームに戻るなりヤマシタ書店員が身体ごとぶつかってきました。それは怒りと嘆きを等分に混ぜたような訴えでした。

「見てくださいよ、これ! 体力が減り過ぎないよう気をつけて執筆を続けてたのに、無茶苦茶ステータス異常になるんですよ!」

 画面前に戻るヤマシタ書店員に追従し、私もその隣の椅子に座ります。
 キャラクター「ソーセキ」のステータスの画面にはいくつもの状態異常が記されています。『胃潰瘍』『精神衰弱』『結膜炎』『痔』『音痴』……。

「治療コマンドで治しても治しても、またすぐ別の異常にかかるんですよう!」

 狂乱するヤマシタ書店員に反し、私はこのゲームの作り込みに深く感心しました。

「いやあ、なるほど! ヤマシタさん、漱石は実際ひどく病弱だったのです。特に胃弱と痔は長い付き合いだったようで、彼の作品でも主人公はかなりの割合で同じ病に頭を悩ませているんですよ!」

 ところで、三島由紀夫とかだとやっぱり『ちから』が高いんでしょうか。彼、晩年はボディービルに傾倒していたそうですし。そのステータスをこのゲームのどこで活かすべきかは知りませんけど。
 ぶつぶつと文句を垂れながらも、何だかんだでゲームは続けるようです。私は彼女の隣でA4サイズの説明書を読みながら、

「『うろつき』や『休憩』でストレスを下げた方がいいんじゃないですか。それと、『執筆』で精神力を上げれば精神衰弱は起きづらくなるようですよ」
「それ、もうやりました。一度Aまで上げたんですよ」

 鉛を飲んだような鈍い声でした。自虐的な引き笑いを喉にひっかけて、

「イギリスに留学したらそれはもう人種差別の嵐、おかげで精神力もゴリゴリ削れまして。仕方なく少ない予算で書物を買い込んで、ずっと下宿に引きこもらせたんですけど、えへ、そしたら周りから、今度は『あいつ発狂したんじゃないか』とか囁かれ始めるし、ううっ…………」

 言葉に涙が滲み始めたあたりで、私は彼女の肩を強く掴みました。「それ以上はいい」という思いを込めて首を横に振ると、ヤマシタ書店員はくしゃっと泣きそうな顔になりました。丸い瞳に涙が浮いて、蛍光灯の下で宝石のようなきらめきを湛えています。長い睫毛についた水滴が、彼女の感情を表すように微細に揺れ続けていました。
 ……私は思わず指で彼女の涙をぬぐいたくなる衝動に襲われました。彼女が腕で目を擦り、自らを元気づけるように声を張り上げなければ、実際にそうしていたかもしれません。

「すいません、ちょっと私らしくなかったですね。大丈夫大丈夫、こんなの慣れっこですもん。今までだってデス様、鈴木爆発、ガンオケ……他諸々全てのゲームを乗り越えてきたんですよ。むしろ、私のクソゲーマー魂が燃えるってもんですよ!」

 クソゲーって言っちゃった!

「さあ、それじゃあ『新思潮』の評論でもして、精神力を稼ぎましょうか!」

 ヤマシタ書店員が仄かに赤くなった目を再び画面に向けます。すると彼女が「んん?」と顔を画面に近付けました。私が隣から画面を覗くと、このようなメッセージがありました。
《イベント【漱石の激賞】プレイキャラクターを引き継ぎますか?》

「ヤマシタさん、これはどうやら主人公を漱石のままプレイするか、別キャラにするか選べるようですよ」

 マウスカーソルが滑り、『はい』を選択。判断に淀みがありません。
 ヤマシタ書店員は肩の荷を降ろしたように深い深い溜息を吐きました。これで病弱地獄から解放される、といったところでしょうか。
 画面ではプレイヤーの手を離れた漱石が、『新思潮』に掲載されたある作品をベタ誉めしているようでした。作品名は……『鼻』!

「おお、芥川!」
「あ、その人の作品ならあたし読んだことありますよ! 一作だけ」
「『蜘蛛の糸』でしょう」
「わあすごい、どうして分かったんですか?」

 分からいでか。
 ヤマシタ書店員がプレイに集中し会話が途絶えると、時計が秒を刻む音が次第に主張を始めました。雑音吸収性の扉と内壁のおかげでフロアの喧騒もここには届きません。私たち二人の呼吸の音ばかりが目立つ部屋の中で、パソコンのファンの低い唸りがやけにうるさく感じられました。
 彼女のプレイングを傍から観察しつつ、時折私はメモを取ります。内容は『プレイ○○時間目。小島政次郎への書簡を連続で出す。海軍機関学校イベントの進行条件に気がついた模様』『プレイ○○時間目。スキル〈美術鑑賞眼〉を入手』といった細かいことから大きなことまで様々です。

「あの、イトーさん。何か体力が最低のG評価から全く上がんなくて、長編を書く前にいつもアクタガワの体力が先に切れちゃうんですけど……」
「ああ、それなら簡単なことですよ」
「何か方策がっ」
「芥川の体力の無さは有名で、彼は結局生涯一度も長編小説を書き切っていないんですよ。遺作も全部短編なんです」
「こんなんばっかだよ!」

 激情に任せマウスを床に投げつけ、律儀に拾ってきます。大分神経の方がやられてきているようです。キャラクターが変わっています。
 それでも彼女は諦めずプレイを続行しました。煙草の火が目に飛んできて火傷しても(体力マイナス四○)、スペイン風邪にやられて寝込んでも(一週間執筆不能)、関東大地震に見舞われても(全ステータスマイナス三○・資金半減)、彼女は決してくじけませんでした。
 それから一時間後、ヤマシタ書店員は目を血走らせ肩で息をしながら、私に笑ってみせました。

「どうですか。各イベントはほとんど進めたし、短編もいくつも完成させました。ヒロインの『文ちゃん』と結婚したし、資金だって充分です。漱石の方は途中で諦めちゃいましたけど、今度こそハッピーエンドに辿り着いてみせますよ!」

 力強く断言する彼女に私は深く頷きを返します。
 ヤマシタ書店員の奮闘を私はずっと間近で見てきました。その間、彼女は何度もマウスを置いてもおかしくない理不尽に晒されました。それでもヤマシタ書店員は自ら攻略法を探り、時には幾十回もセーブとロードを繰り返し、ここまでようやく漕ぎつけたのです。
 そんな彼女を見守るうちに、私は自分の中に新たな想いが芽生えるのを感じました。
 それは、そろそろ彼女も報われていいはずだ、というものでした。もし私にも何かできることがあれば、観察者という役割を放り出しても力になろうと、密かに私は心に決めました。

「ありゃ、いつの間にかアクタガワが状態異常に……。見たことない異常ですねえ。イトーさん、どんな効果か分かりますか?」

 よしきた、とばかりに私は身を乗り出します。ええと、どれどれ。

「ここです。ほら、『ステータス・ぼんやりとした不安』ってなってるんですけど」



 ……そのときの私の心境を、ぜひ想像して頂きたいと思います。

「…………」

 あえて私は何も言うことなく、生温かい微笑みを湛えて自分の席に戻りました。彼女は気味悪そうにこちらを伺っていましたが、すぐにプレイを続行しました。
 ……私にできることはそう多くは残されていません。私はパソコン脇の白い電話機に手を伸ばすと、受話器を耳に当てフロアの店長を内線で呼び出しました。

『もしもし、イトー書店員かい、どうしたの? そろそろクリアしそうなのかな?』
「ええ、その通りです。それはそれとして、一つ、どうしてもお訊きしたいことがあるのです。……このゲームのプレイアブルキャラクターを全て、教えて頂けないでしょうか」
『それはもちろん構わないけど。夏目漱石、森鴎外、川端康成、太宰治、有島武郎、志賀直哉、芥川龍之介……あと、三島由紀夫。そんなものだったかな。僕が担当したのは日本文学版だからね。他に情報は必要かい』
「さしあたっては必要ありません。……それと店長。僭越ですが、このゲームのキャラクターの、大幅な再選を進言致します」

 その言葉を口にするまでには、少なくない躊躇がありました。
 店長が古書店における王と等しい存在とはいえ、書店員が店長に意見を奏上すること自体はさして珍しいことではありません。しかしすでにかなりの部分が完成し、多くの手間やコストがかかったプロジェクトの中枢部分に口を出すとなれば話はまるで違います。
 このゲームプロジェクトは古書店連盟が推進するものです。連盟は即ち権威であり、元首です。その連盟相手に私のように矮小な木端書店員が大幅な軌道変更を要求するなど、とても考えられないことなのです。
 受話器の向こうで、私の意図を探るような沈黙が続きました。永遠とも思える静謐を破ったのは、店長の静かな問いかけでした。

『……君がそこまで言うということは、然るべき理由があるんだろう。だからできれば君の意見を尊重したい』
「感謝いたします」
『でも、どうしてそう思うんだい? 皆、文学史を語る上では外せない重要作家ばかりじゃないか。この人たちを外すというのは考えられないよ』

 無論、店長がおっしゃることは私めも重々承知しています。
 漱石、鴎外、志賀直哉、そこまでならよろしゅうございます。皆、それぞれの人生を全うされた良い作家です。他の作家も、それはそれは素晴らしい方ばかりです。
 しかし、それでもしがないオールドゲーマーとして、またヤマシタ書店員の奮闘を見守ってきた者として、ある理由から口を挟まずにはいられなかったのです。

「詳細は後ほど書類でお伝えします。……はい……はい。それでは、失礼します」

 ホールド。そして、深い溜息。
 私ごときが過ぎた口を効いてしまったようです。しかしそれ以上に私の頭を苛む案件が、重く全身に圧し掛かりました。
 倒れ込むように私はパイプ椅子に深く背を預けます。
 必ず全てクリアしてやるぞ、とばかりに意気込むヤマシタ書店員の鬼気迫る横顔。それを見つめながら、この事実をいつ、どう伝えるべきか、じっと考えました。
 近代の作家はその輝かしい業績に比例するように波乱万丈な生涯を送っています。

 例えば、川端康成はガス自殺。
 太宰治は入水自殺。
 有島武雄は縊死心中。
 三島由紀夫は割腹自殺。
 そして芥川龍之介は服薬自殺、というように。

 幸い、ゲームのクリアまではまだ多くの時間が残されています。
 しかしこの泥沼のような懊悩にどれだけ長く沈んでも、「これからプレイする作家さんたち、実はほとんど自殺しちゃうんですよ」と彼女に告げられる気はどうしてもしませんでした。



 

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